続・どんぐりも背くらべ

童話作家・九十九耕一のブログ

母を送る

 ずいぶん長いこと、ブログのアップを怠ってしまいました。気づけば、もう2019年がそこまで来ているではありませんか!
 書くべきことはいろいろあったのですが、かなりバタバタした状態がつづいていたため、なかなかPCの前にじっくり座れずにおりました。

 9月8日早朝、母が他界しました。75歳でした。

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 5月の終わりに、父が脳梗塞で入院。6月11日の私の師匠が他界。非常事態が続く中、母の入所先の特別養護老人ホームから電話がありました。7月に入ってすぐのことです。吐瀉物の中に血が固まったようなものが混じっているので、これから病院に連れて行くとのこと。胃がんでした。胃の出口辺りに腫瘍ができているため、胃の食べ物が下りていかない状態になっていました。
 病院に運ばれる前から看取り介護になっており、このときの母の体重は25キロほど。手術を受ける体力はありません。
 2週間の入院の後、老人ホームに戻り、静かにその時を待つこととなりました。
 入院中の父も何度か外出許可をもらい、母と会わせることができました。

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 このときの母は、認知症のため、会話はまるでできない状態でした。ただ、家族がくると、にこっと笑ったりするので、きっとわかってくれていたのだと思います。
 老人ホームから様態急変の知らせを受けたのが、9月7日の夕方。すぐに父の病院にも連絡を入れ、外出許可をもらい、最期にもう一度会わせてあげることができました。病院に戻らなければならないため、看取らせてあげることはできませんでしたが。
 私と妻、弟に囲まれ、母は静かに息を引き取りました。

 永眠し、母は実家に戻ることができました。実家で転び、大腿骨を骨折して入院してから、3年ぶりの帰宅です。最期は水しか飲めなかった母に、ラーメンを作ってあげました。実家はラーメンの製麺工場なんですよ。お母さん、ラーメン食べたかったよね?

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 13日お通夜、14日告別式。まだ暑い季節だというのに、ずいぶん日を置いての葬儀です。これにはわけがあります。
 じつは父が入院する病院から「様態を考えると、間をあけずに外出は厳しいので、お母様と会わせるのは、危篤のときか葬儀のときか、どちらかにしてください」と、かなりつらい選択を迫られていたのです。ですが「間があいたら、なんとかなるか?」という一か八かの作戦でしたが、病院側もこちらの想いを汲んでくれ、告別式に父を連れて行くことができました。やはり、お骨は拾わせてあげたかったので。
 お通夜には、驚くほどたくさんの方が来てくださいました。こちらの予想の3倍以上! お香典返しの品や、お浄めの料理は足りるのか!?
 祖母が亡くなったときは、てんてこ舞いでしたが、今回は葬儀会社の方々が、すばらしく優秀でした。何事もなかったかのように、対応してくださったのです。
 すばらしかったのはこうした対応だけではありません。長くドライアイスに囲まれていた母は、棺に納める際、着せていた薄桃色のブラウスがびっしょり濡れてしまっていたのです。どうしたものかと困惑する私たちに「大丈夫ですよ」と言ってくださり、平たい綿で、まるで着物を着ているかのように見せてくださいました。
 ウニが好きだった母に供えるためのお寿司も、別途用意してくださいました。固形物がずっと食べられなかった母に供えてくださったこと、私たちがどれほどありがたかったことか。
 わからないこと、不安なこと、すべて丁寧に教えてくださいました。マキノ祭典様、本当にありがとうございました。

 49日が過ぎ、納骨。父はまだ入院中でしたが、外出許可をもらい、一緒にお墓へ。母は父の膝に抱かれて、お墓へ向かいました。

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 細々したことはありましたが、無事に納骨。母を送ることができました。
 大切な人を送るというのは、心も体もたいへんなのだということを思い知りました。哀しみの中にあっても、事務手続きはしていかなくてはならず、日常の仕事もしなければなりません。
 今は落ち着いたように思っておりますが、じつは銀行関係が未だ手つかずです。「亡くなる前に、お金をおろしておけば楽なんだよ」という人もいました。それはもちろんそうなんでしょうけど、正直、そんなことまで頭回りませんでした。急ぐ話でもないので、ぼちぼちやっていきます。

 葬儀の際、親戚から「病院のあとに、あなたと出かけるのが楽しいって、いつも言ってたよ」と言われました。認知症がまだ初期のころ、気持ちが変わればと思い、病院に行った後、動物園に行ったり、映画に行ったりしました。そんなに楽しんでくれていたことを、ずいぶん後から知ることになりました。
 しみじみと、よかったなぁと思います。