続・どんぐりも背くらべ

童話作家・九十九耕一のブログ

「ヒースランド」と私 1 「海賊」編

 通信講座「立原えりかの童話塾」。私の童話作家のスタート地点です。
 先日、この講座の機関誌「ヒースランド」が終刊を迎えました。最終号はvol.28。最初から関わってきた同人誌なので、やはり淋しいですね。

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 これから数回に分けて、「ヒースランド」と、そこに載せた私のお話を振り返っていきたいと思います。

 そもそも私は、童話にはほとんど興味がありませんでした。小説を書きたいと思っていたのです。ただ「詩とメルヘン」だけは購読していていました。
 ある日「詩とメルヘン」に通信講座「立原えりかの童話塾」の広告を見つけました。二十歳くらいのことだったと思います。「ちょっと手ならしに」くらいのつもりで始めてみたのですが、これがおもしろい! 課題を送るのが楽しみで、添削されて戻ってくるのを心待ちにする日々でした。
 このころ、すでに機関誌はありましたが、「ヒースランド」ではなく「海賊」という名前でした。奥付を見ると「顧問・山室静」とあります。山室静と立原えりかの名前が並んでいるなんて、ちょっとすごい同人誌ですよね。

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 添削課題は全部で6回。私の場合、1年弱で卒業ということになりました。第5回目の課題が「自由創作」。その添削をもとに書き直すのが第6回目の課題でした。
 最後の課題を送り「これで童話も卒業か」と思っていたのですが、添削されて戻ってきた封筒を開いてびっくり! 「このお話を『海賊 vol.3』に掲載させていただきます」とのことでした。「最後にすごいプレゼントがきた!」と、ものすごく興奮したことを覚えています。
 このころすでに「九十九耕一」というペンネームは考えていたのですが、添削課題ということもあり、本名の「山下進一」で掲載しています。タイトルは『ピエロは月光と共に』。
 第5回の添削時には『月光(スポットライト)の中のピエロ』というタイトルでした。けれど添削に「やはり月光は、ムーンライトと読みたいですね」と書かれていました。「ムーンライトなら、わざわざルビを振る必要ないじゃん」と、ふくれっ面で改題したのを覚えています。結果的には改題してよかったのですが、若気の至りですね(苦笑)。
 vol.3は1992年4月発行となっています。21才のときか~。

 掲載から1年、いい思い出もできて、卒業したと思っていたところに、驚きの手紙が届きました。差出人は、なんと立原えりか先生!
「池袋のカルチャースクールで、童話の講座を開きます。よかったら、来ませんか?」という内容のものでした。
 通信講座で童話に触れて以来、なんとなく自分に向いているのでは? と、思っていたときのことでした。当時、文章の専門学校に通う学生でしたが、午後の授業を月に2回サボると通えるので、通うことにしました。
 最初の講座で驚いたのが、えりか先生の記憶力です。20名ほどの生徒がいて、うち半分くらいは通信講座の受講者――私のように誘っていただいた人たちです。自己紹介のときに「あ、あのお話を書いた人ね」と、その人が書いた作品を言っていくではありませんか。自分も言われるだろうとドキドキしていたのですが……スルーです。
「あれ?」と思い講座の後で「『ピエロは月光と共に』を書きました」と告げてみたところ、カッと目を見開いて「あなたがあのお話書いたの!?」と、ものすごく驚かれました。
 このお話は、すごくセンチメンタルで、線の細いお話だったのですが、私はと言えば剣道青年・体重80キロ。Tシャツの袖を肩までまくり上げた、いかにも体育会系男子だったのです。作者の風貌と作品が、あまりにもかけ離れていたため、えりか先生の頭の中でつながらなかったみたいです。
 当時の私は、悲しくて美しいお話が大好きでした。後にえりか先生から「悲しくて美しい九十九くん」と茶化されるほどに(笑)。

 次に「海賊」に載ったお話は『古ぼけた手紙』というお話です。海賊はvol.7でした。
 教室に通う生徒に出された課題作が掲載されました。「飛行機の中」「隣席に座った人と会話させる」「着陸」「別れ」。この四つの要素を入れてお話を書くこと、という課題です。
 このとき、私は飛行機に乗ったことがなく、飛行機の機内が舞台の映画を観てイメージを膨らませました。ただ、観たのがパニック映画だったので、抑え気味にイメージしなくちゃなりませんでしたけどね。

「海賊」は諸事情により、vol.7('94.4月)で終刊となりました。そのまま「ヒースランド」に引き継がれていくことになります。
 この当時、ユーキャンはまだ存在しません。「海賊」の奥付を見ると、vol.3では「協力・日本文化スクール」、vol.7では「協力・エコール ロゼ」とあります。ユーキャンの前身ですね、たぶん。
「エコール ロゼ」の名前は、「ヒースランド」のvol.7まで記載されています。vol.8からは「日本通信教育連盟」、vol.20から「ユーキャン」となっていますねー。
「ヒースランド」を振り返ることで、ユーキャンの歴史の一部も見えてくるのでした。


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