桂米朝著『落語と私』
先日、桂米朝師匠が亡くなった。高齢ではあるけれど、ニュースを知ったときには「うそ?」と思った。
落語家でもない私が「師匠」と呼ぶのは、いささかおかしいかもしれない。でも、じつは私は、米朝師匠に大きな影響を受けている。
高校生のときに、友人といっしょに落研「落語者の会」を立ち上げた。文化祭や卒業前に落語を披露。大いにウケた。
俄然、落語に興味を持ち、図書館でカセットテープを借りて何度も聞いたり、テレビ放映を録画したり、深夜寄席に通ったりした。学校の成績は良くない私だったけれど、不思議と落語はすぐに覚える。次々と覚えたネタは30本近く。よその学校の学園祭に呼ばれたりして、得意満々である。一時期、本気で落語家になろうかと考えた。
落語のことがいろいろ知りたくなり、落語関連の本を読み漁る。そして出会ったのが、桂米朝著『落語と私』である。私が手にしたのは文春文庫から出ているものだった。
衝撃だった。「こんなにも真剣に、人生をかけて落語に打ち込んでいる人がいるのか」と、心底驚いた。
たちまち、自分の落語が色褪せる。舞台の上下もろくすぽ分かっておらず、場面描写も己の頭に思い浮かべていない素人落語。おそまつだ。
少々ウケて天狗になっていた私の鼻は、米朝師匠によって、丁寧に折られたのである。
私は、落語家になることを諦めた。落語好きの私の先生は「そりゃ、きみ、いきなり米朝になろうと思うから、いかんのだよ」と言ってくれたけれど、私はとても落語家になれる人間ではないと悟った。落語との接し方は変わったけれど、好きなことは変わらない。
そんなわけで『落語と私』は、私にとって、とても大切な本なのだ。
私は今、童話作家として、細々とお話を紡いでいる。当然のことながら、この分野にもすごい人たちがいて、すごい作品を残している。なのに私は、この道は、落語家の夢のように諦めようとは思わない。落語家への道はビビッて引き返してしまったけれど、作家の道は、泣きながらでも進まなければならないと感じている。諦めるとか、無理だと思うとか以前に、この道を行くより、ほかにどうしようもないのだと思えてならないのだ。
ちょっと脱線してしまった。話を米朝師匠に戻しましょう。
専門学校を卒業し、ライターをしながら、古本屋の店員として働く日々が何年か続いた。
ある日、古本屋に落語関係の本が多数持ち込まれた。その中に『落語と私』があった。懐かしく思い、ページをめくると……サイン本じゃないですか!
もちろん、店の棚に並べる前に買い取らせてもらった。なんという巡り合わせ!
何年もの間、この本は、私の本棚に静かに収まっていた。米朝師匠の訃報を知り、またページを開いてみた。
米朝師匠、私の鼻を折っていただいて、ありがとうございます。
ご冥福をお祈りいたします。
ちなみに、落語をやっていたときの私の芸名は「馬娯家芭ふん(うまごや・ばふん)」という。高校生がつけそうな名前でしょう?