ケストナーの夏
この夏は左手を怪我したこともあって、時間があったので、エーリヒ・ケストナーの児童小説を集中的に読んだ。
『エーミールと探偵たち』『エーミールと三人のふたご』『点子ちゃんとアントン』『飛ぶ教室』『五月三十五日』『ふたりのロッテ』『動物会議』『サーカスの小びと』『小さな男の子の旅』。
ケストナー、改めて面白い。
深く共鳴したのは「子どもをあまやかさない」という姿勢。こんなに子どもを楽しませる話を書いていながら、しっかり「現実」を見つめている。
『飛ぶ教室』には、こんなことが書かれている。
ただ、何ごともごまかしてはいけません。またごまかされてはなりません。不運にあっても、それをまともに見つめるようにしてください。何かうまくいかないことがあっても、恐れてはいけません。不幸な目にあっても、気を落としてはいけません。元気を出しなさい! 不死身になるようにしなければいけません! (高橋健二訳/岩波書店)
「子どもの本だから」と、楽しいことばかり書くのではなく、つらいこともケストナーは書いている。そして、周囲の助けはあるにしろ、つらいことを子どもが自分で乗り越えている。とてもとても大切なことだ。
楽しいことばかり書くのは気持ちがいいし、気分も楽だ。けれど、そうして書かれた物語が生み出すものは少ない。サラッと読んで、後は忘れてしまう物語だ。胸に食い込んで、心の糧となる物語は痛み、苦しみを伴う。
私は書き手として、そのことをしっかり胸に刻んでおかなければ。
岩波書店からは「岩波少年文庫」として、池田香代子訳のシリーズも出ている。訳者が違うと、物語の印象もまた違ってくる。
『点子ちゃんとアントン』の冒頭で、ちょっと比べてみよう。
まずは高橋健二訳。
はて、何をいうつもりだったかな? ああ、そうだ、わかった。
わたしがこんどみなさんにするお話は、たいへん奇妙な話です。第一に、この話は奇妙だから、奇妙であり、第二にじっさいにあったことだから、奇妙です。この話は、半年ほどまえ、新聞に出ていたのです。
「ははあ、ケストナーはまた盗んできたな。」と、みなさんは考えて、ちぇっといいますね。
ところがケストナーは盗んでなぞ、きはしません。
次が池田香代子訳。
なんの話だったっけ? ああ、そうそう、思い出した。これからみんなにしようと思っている話ときたら、じつにへんてこなのだ。まず第一に、へんてこだから、へんてこだ。第二に、それがほんとうにあったのだから、へんてこだ。半年くらいまえに、新聞に出ていた。ははあ、とみんなは考えて、ヒュウと口笛を吹いたね。
「ははあ、ケストナーはネタをいただいたな!」
とんでもない。ケストナーは、ネタをいただいてなんかいない。
これは好みだけれど、どちらの訳が好きですか? 私は高橋健二派。