池袋コミュニティ・カレッジ 夏休みこども講座
池袋コミュニティ・カレッジで、小学生向けの豆本講座を開くことになりました。
いつものワークショップのように、まずは簡単な折り豆本を作ってもらいます。
作り方がわかったところで、ここから先は新しいプログラム。セミ・オリジナルの豆本作りに挑戦です。
本の作りは、最初に作ってもらうものと、まったく同じ折り本です。材料も同じ。
ただ、このテキスト、コルク人形の写真しかプリントされていません。背景も真っ白。
これに、写真を見て思いついたお話を書きこんでいってもらいます。色鉛筆で背景を描いてもらったりもします。どんなお話ができるかな~。
奥付ページも作りました。制作した日付があるほうがそれっぽく見えるし、記念になるよね。
作り方の手引きも作りました。
2時間という枠なので、たぶん、これでいっぱいいっぱいなんじゃないでしょうか?
でも、せっかくなので、完全オリジナルのお話作りにも挑戦してもらいたいです。
なので、自宅で作るための、切り取り線と折り線のみのテキストを持って帰ってもらいます。講座で学んだことを参考に、お話や絵をつけて、オリジナル豆本を作ってくれたら嬉しいなー。
コミュニティ・カレッジの担当者と話したところ、大人の方から「参加できないか?」との問い合わせがあったそうです。私としては、まったく問題ありませんが、やはり子ども向けの講座なので、子ども優先になるそうです。席が余るようなら、大人も参加OKとなるようです。
なんにしても、たくさんの受講者が集まるといいなー。
ちなみに、私の講座の他にも、楽しそうな講座がいっぱいありまーす!
伊勢日記 その15 こぼれ話
今回の伊勢旅行でのお宿は、松阪駅近くの松阪シティホテル。
チェックアウトの準備をしているときに気づいたのですが、壁紙、スヌーピーでした(笑)。
松阪で撮ったマンホールのフタでーす。
牛は松阪牛ですからわかるのですが、鈴はなんでしょう? 最初、牛の首についている鈴かと思ったのですが、さにあらず。
奈良時代から平安時代、天皇の使いとして都から伊勢神宮へ来る役人は、松阪のはずれで、通行手形にあたる「駅鈴」を馬の首から外して、鈴の音を止めたそうです。また、松阪出身の本居宣長は鈴好きだったとか。自宅は「鈴屋(すずのや)」と呼ばれていたみたいです。
松阪を出た後、関へ行き、それから名古屋へ向かいました。名古屋と言えば、喫茶店文化の街。熱田神宮へ行く前に腹ごしらえ。コンパルで、分厚い卵サンド、チキンカツサンド(タルタルソース)、餡バタートースト。
お参りが終わったら、ビールでしょう!
名古屋のマンホールのフタはアメンボ。かわいいね(*^_^*)
居酒屋新幹線・こだま支店。「八百彦本店」のお総菜セットは大当たり! どれを食べてもおいしい!
エビスビールは好きなのですが、「華みやび」はちょっと好みじゃない香りだった。キュッと飲んで、日本酒に移行。
バッチリ締められて、楽しい旅でした。
旅のお土産がこちら。
伊勢のスーパーで買ったお菓子もあり。
笠の形をした平治せんべいは、アイスを乗せて食べてもおいしい。
コルクンの笠として、サイズぴったり!
伊勢日記 その14 熱田神宮
伊勢を後にし、名古屋で新幹線に乗り換えるのだけれど、予約した新幹線まで、時間がかなりある。今、我々は名古屋でなにをすべきか? 神社を巡ってきたこの流れの中、行くべきはあそこしかない!
というわけで、熱田神宮参りです。
三種の神器のうち、伊勢の内宮には八咫鏡(やたのかがみ)が納められており、この熱田神宮には草薙剣(くさなぎのつるぎ)が納められています。あとひとつ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は皇居にあります。
熱田神宮の御祭神は熱田大神で、これは御神体・草薙剣のことである、という説もありますが、熱田大神とは天照大神のことであるという説もあるようです。
正門の鳥居の写真をバーンと載せましたが、名鉄神宮前駅を降りると、東門から入ることになります。でも、お参りは正門からしたいので、くるりと回り込むことに。佐久間燈籠の前を通り、正門でUターン。一礼して鳥居をくぐり直しました。
まずは本宮でご挨拶。ここでも柔らかな風が吹いて、白い帳は大きくめくれました。今回、外宮、内宮、熱田神宮と、帳のあるところではすべて風が吹いてくれたので、なんだかありがたいです。
さて、熱田神宮の境内には本宮をはじめ別宮一社、摂社八社、末社十九社が祀られているそうです。もちろん、すべて回りたい。ところが、境内でもらえるイラストマップは、意外と頼りないので注意しましょう(苦笑)。
ならずの梅、神楽殿の前を通り、龍神社へ。
龍神社の御祭神は吉備武彦命(きびのたけひこ)、大伴武日命(おおとものたけひ)だそうで、日本武尊東征の従者だったそうです。
御田神社。御祭神は大年神(おおとしのかみ)。
立派な大木がありましたが、とくに解説はありませんでした。
清水社。御祭神は罔象女神(みずはのめのかみ)。
清水社の先に「お清水」と呼ばれる湧水があります。
この奥に細い道があり、本宮の裏手に繋がっています。そこには一之御前神社があり、天照大神の荒魂が祀られています。イラストマップには載っていないのですが、重要な場所ではないでしょうか?
本宮前に戻ってきて、授与所で御朱印をいただきました。
まだまだお参り散策は終わりません。こちらは信長塀。織田信長が桶狭間の戦で今川軍に大勝したお礼に寄進したのだそうです。
信長塀の向こう側にあるのが西八百萬神社。熱田神宮より西の神々が祀られています。逆光で、なんだか神々しい写真になりましたね。
参道を挟んで向かいにあるのが、東八百萬神社。熱田神宮より東の神々が祀られています。
東西どちらの神社も、イラストマップには載っていません。
大幸田神社(おおさきだじんじゃ)。御祭神は宇迦之御魂神。
内天神社。西門近くには外天神社があり、対になっているそうです。
内天神社のすぐ近くに、六つのお社が並んでいます。こちらが六末社。「六末社」とは、乙子社、姉子神社、今彦神社、水向神社、素盞嗚神社、日長神社の総称です。
六末社から参道に戻り、正面やや右手に見えるのが大楠。
そして楠御前社があります。
南新宮社。熱田神宮唯一の朱塗りのお社です。
日割御子神社。御祭神は天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)。
正門に戻ってきました。正門左手にも鳥居があります。ここをくぐると別宮です。
八剣宮(はっけんぐう)にご挨拶。御祭神は熱田大神。
境内には上知我麻神社があります。御祭神は乎止與命(おとよのみこと)。
上知我麻神社の両脇には大国主社と事代主社があります。
こちらでは八剣宮と上知我麻神社、ふたつの御朱印がいただけます。
いったん外に出て、外周を回り、西門へ。西門を入ってすぐ左に菅原社があります。六末社の隣に内天神社がありましたが、こちらが「外天神社」と呼ばれているようです。
さあ、いよいよ最後。西門を出て北へ進むと、角っこに下知我麻神社。御祭神は真敷刀俾命(ましきとべのみこと)。旅行安全の神様ということで、今回の旅のお礼をいたしました。
これでたぶん、すべての摂社・末社をお参りしたと思います。疲れたけれど、ご参拝できてよかった!
伊勢日記 その13 関の戸
タイトルを見て「お!」っと思った和菓子好きの方も多いのではないでしょうか? はい、あの「関の戸」です。
伊勢まで来たことですし、足を伸ばしてこのお店を見ておくべき、ということで、やってきました。
松阪駅からJR紀勢・参宮線で亀山駅、関西線に乗り換えて関駅へ。所要時間、約1時間半。「伊勢に来たついでに」と言うには、ちょっと遠いですね。
徳川三代将軍・家光の時代からあるお菓子「関の戸」。そのお菓子を作っているお店が、東海道関宿にあるのです。創業370年の老舗! しかしながら、作っている商品は「関の戸」のみ。
関の戸は、簡単に言えば、こし餡を求肥で包み和三盆をまぶしたひと口大のお菓子です。初めて食べたときは、そのおいしさに目を見開きました。
後から知ったのですが、このお店、服部半蔵の親戚が始めたのだそうで。
東京でもデパートなどで買うことはできますが、どうしてもお店を見ておきたかったのです。
関駅から少し行くと、そこには街道の街並みが今も残っています。
こちらが関の戸のお店「深川屋 陸奥大掾」。どうです、この堂々たる店構え!
お店、方向を変えて撮ってみました。看板に注目!
書体が違いますね。これは江戸方面、京都方面がわかるように変えてあるのだそうです。えーと、どっちがどっちだったかな?
この矢印は通りにあったものを写したもので、上の写真とは一致していないかもしれません(^_^;)
「関の戸」は朝廷御用達のお菓子でもありました。当時、お菓子を運ぶ際に来ていた衣装や、使っていたお重が、こちらのお店に展示されています。……ですが、私たちが行ったときは菓子博に貸し出されていたので、お店に来る前に見ておりました~。
お店で見たかった気もしますが、まあ、頭の中で合成することにしましょう。
合成と言えば、郵便局前に顔ハメパネルがあったので、記念撮影してきました。合成で、両方私の顔でお楽しみください。
え~、お口直しに、マンホール写真をどうぞ(^_^;)
伊勢日記 その12 本居宣長ノ宮、松阪神社
2泊3日の伊勢旅行最終日。
伊勢の神社はあちこち回ったけれど、拠点とした宿のある松阪はどうだろうか? 調べて見たら、立派な神社があるじゃないですか。本居宣長ノ宮、松阪神社と、ふたつの神社が、宿からそう遠くないところにありました。やはりご挨拶には行かないと。
神社は、松阪城跡のすぐ近く。
せっかくなので、ここも散策してきました。あいにくの曇り空でしたが、本丸のあった場所はやはりかなり高いところで、街が見下ろせました。
お城の跡をくるりと回るようにして進むと、鳥居が見えてきます。ここが本居宣長ノ宮。
本居宣長は、江戸時代の国学者ですね。神社は、記念館と隣接しています。
記念館脇の石段を上ると、本殿があります。
ご挨拶をし、御朱印を……と思ったのですが、社務所には人の気配がありません。とりあえず、境内を見て回ってからにすることに。
末廣稲荷大神というお社がありました。もともとは紡績会社の工場の中にあったそうですが、工場閉鎖にともない、ここに遷座されたそうです。
じつはここはすでに松阪神社の境内だったようです。本居宣長ノ宮と松阪神社は隣接していて、いつの間にか境界を越えていたみたいです。
こちらが松阪神社。2泊3日お世話になったお礼をしました。
境内には少名彦那尊御社がありました。
少名彦那尊御社の鳥居をくぐってすぐ右手に、白龍大神の小さなお社があります。
風格のある御神木。ずっと松阪の街を見守ってきたのですね。
こちらの社務所にも、人の気配がありません。でも、呼び鈴があったので押してみると、神主さんが出てきてくれて、御朱印をいただけました。
本居宣長ノ宮に戻ってみたのですが、やはり人の気配なし。呼び鈴もありません。諦めきれず、記念館の方へ行ってみると……おおっ! ここに呼び鈴が!
松阪神社同様、すぐに来てくださって、御朱印をいただけました。
お読みになってわかるかと思いますが、隣接してはいても、本居宣長ノ宮と松阪神社は、ぜんぜん関係ない、ふたつの神社です。立ち寄られる方は、注意しましょう。
帰り道、ちょっと眺めのいい場所に出ました。ここは御城番屋敷だったところだそうです。なんだか、当時の風景が浮かんでくるようでした。
伊勢日記 その11 月讀宮
猿田彦神社に続き、月読神社へ。外宮の別宮に月夜見宮がありましたが、ご祭神はどちらも月讀尊(つきよみのみこと)です。
地図で見たときには「さほど遠くない」と思ったのだけれど、歩いてみると、けっこう離れている。「もうそろそろ着くはずなんだけど……」と思っても、それらしきものは見えない。交通整備の方に聞いて、場所を確認し、ようやくたどりつきました。
車通りの多い道路に囲まれ、急に現れたような気がしました。
鳥居をくぐってみると、いきなり森に入った感じです。上り坂の参道を行きます。
境内には四つの社殿があります。案内板にあるように、参拝する順番があるので、その通りにご挨拶に回りました。
まずは月讀宮。
続いて月讀荒御魂宮。
伊佐奈彌宮。
うーん、どういうわけか、荒御魂宮以外はピンボケですね。神秘的な意味をお考えの方もいるでしょうが、「撮影者の実力」というのが、私の見解です(^_^;)
御朱印をいただき、月讀宮を後にしました。
バス停に行くと、タイミングよくバスが来てくれました。本数が少ないようなので、ラッキーです。
時間的に倭姫宮に行けなかったのが残念!
伊勢日記 その10 猿田彦神社
内宮へお参りし、おはらい町でてこね寿しを食べた後、少し歩いて猿田彦神社へ。
祭神の猿田彦大神は、天照大御神の孫にあたる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、高天原から地上に降り立つときに導いた神様だそうです。なので、ものごとを万事善い方向へ導いてくださる神様とされているそうです。天宇受売神(あめのうずめのみこと)の夫でもあります。
拝殿でご挨拶をしたあと、同じ境内にある佐瑠女神社にもご挨拶。ご祭神は天宇受売神です。芸能や縁結びの神様ですね。
猿田彦神社本殿の前に、なにやら方位が刻まれた石が。干支を触ると幸運が訪れるそうです。私は戌年なのですが、猿との相性が若干気になりました(苦笑)。神様はそんなの、気にされないですよね。
さざれ石。二見興玉神社にもありましたね。
たから石、という石もありました。なるほど、案内板が言うように、蛇が乗っているようにも見えます。
神社裏手にある御神田(おみた)も見学。5月5日には御神田祭が催され、桃山時代の衣装をつけた植方が田楽に合わせて早苗を植えるのだそうです。うーん、見てみたいけど、ゴールデンウィーク中は来るのがたいへんそうだなぁ。
社務所に戻り、御朱印をいただきました。ここでは猿田彦神社と佐瑠女神社の、ふたつの御朱印がいただけます。御朱印帳に、見開きでいただいてきました~。